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買取品目茶道具

中川 浄益

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中川 浄益(なかがわ じょうえき)は千家十職の一つ、金物師(かなものし)の中川家当主が代々襲名する名称。元々は越後国で甲冑・鎧を作っていたが、茶道具を初めて手掛けた初代・中川與十郎が紹益を名乗り、二代目浄益以降の当主は浄益という名を継いでいる。

2008年に十一代浄益が没した後は空席のままである。

中川家は錺師(かざりし)とも言われ、金工の精巧な茶道具を得意とし、優れた金工の技術を継承してきた。その作品は鉄を鍛造して制作する槌物(うちもの)と鋳造による鋳物(いもの)が主である。

初代

1559年
越後出身。元は先祖と同じく武具を製作するが、千利休の依頼・指導により薬鑵(やかん)を作ったのを契機に、現在の家業である茶道具作りを始めたとされる。代表作「利休薬鑵」。
1622年
死去。

二代

1593年
生誕する。
1670年
死去。

三代

1646年
生誕する。
1718年
死去。

四代

1658年
生誕する。
1761年
死去。

五代

1724年
生誕する。
1791年
死去。

六代

1766年
生誕する。
1833年
死去。歴代中随一の茶人であり、「宗清」の茶名を持っていた。

七代

1796年
生誕する。
1859年
死去。

八代

1830年
生誕する。七代の婿養子。
1877年
京都の博覧会の開催に尽力。また「浄益社」を設立、海外への日本美術の紹介を行うなどするが、様々な事情により失脚。失意の中48歳で死去。

九代

1849年
生誕する。
1911年
父方の縁により三井家などから援助を受けるが、家業の建て直しがうまくいかず、逆境の中アルコール使用障害となる。職人としては一流であったが、伝統工芸に理解のない時代だったため世間からは認められなかった。不遇のまま死去。

十代

1880年
生誕する。早くから大阪の道具商のもとに修行に出される。
1940年
死去。

十一代

1920年
生誕する。早くから大阪の道具商のもとに修行に出される。
1940年
父の死後、浄益を襲名した。
2008年
死去。

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