古美術 仏教美術 | 買取品目 | 福岡の絵画・美術品高価買取なら美術品店「豊後」

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買取品目古美術 仏教美術

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高価買取のポイント

仏教美術といえば、仏画、仏像、経筒、舎利塔、密教法具、ちょっと変わった物では、砂張の碗、瓦、鈴(りん)、馨(けい)などがあります。

買取の多い物としてはやはり仏像になり、木製、陶製、銅製等様々な素材の物が見られます。日本の仏像は、木彫りの物がが好まれ、底部に年代や作者名が書かれているか、截金が施されているか、目の部分に玉眼と呼ばれる水晶が入っているかなどが査定ポイントとなります。
厨子や光背、台座といった付属品が揃っている程、高価査定が期待できます。
そして時代が古い物ほど重宝されており、平安、鎌倉時代の物になると台座に使われている蓮の形をした残欠だけでも高値で取引されてます。
木彫りの仏像は古い物ほど、虫喰いや欠けも多く見られます。
状態も重要なポイントとなります。

仏画に関してもやはり時代の古い物が人気があり、価格に大きな違いが見られます。
幕末、明治期の捏槃図だと20万円程ですが、室町時代以前の物になると10倍以上の値が付く事があります。
仏画の場合、軸の裏側や共箱に由来や所蔵したお寺の名前などが書かれている事があり、これはプラス査定になります。
また本当に高価な仏画は表装の裂や軸先まで高価な素材を使って仕立てていますので、こういった所も高価査定のポイントとなります。
その他、平安時代の瓦経や、経筒、鍍金に水晶を使った細工の良い舎利塔や透かし彫りが美しい華鬘(けまん)などコレクターにとって垂涎の品が多数あります。

仏教美術の世界では、一般的に知られていないような物に思わぬ高値が付く事がありますので、何でもご相談下さい。

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高価買取だけではありません 豊後が選ばれる理由

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    丁寧なご説明と仕分け

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    ただお品物を買い取るのではなく、お客様のご質問に丁寧に答える事を大事にしています。またざっくりとした計算ではなく一点一点丁寧に査定を取らせていただきます。

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    幅広い取り扱い

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    臨機応変に対応

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古美術 仏教美術の
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古美術 仏教美術の買取について

仏教美術とは、名前の通り仏教に関連する美術品で、主に「仏像」「仏画」「仏具」の3つに分類されます。

仏像

仏像とは、仏教の信仰対象である仏の姿を表現した像。
本来は「仏」の像、すなわち、釈迦如来、阿弥陀如来などの如来像を指すが、一般的には菩薩像、天部像、明王像、祖師像などの仏教関連の像全般を総称して「仏像」ともいう。
彫像の材質は、金属製、石造、木造、塑造、乾漆造など様々である。

仏像を専門にする彫刻家は仏師と呼ばれる。

仏の種類

仏像は、如来、菩薩、明王、天部の四つのグループに分けられる。このほか、羅漢や祖師像を含めた尊像を広く仏像ということもある。

如来

如来とは仏の尊称である。「如去如来」あるいは「如来如去」の略、すなわち「真如の世界へ去り、また真如の世界より来られし者」という意味であり、修行を完成して、真理すなわち悟りを開いた人を表す。
日本における如来像の頭髪は、いずれも螺髪(らほつ)といって渦巻状の集合体で造形されている。

釈迦如来

釈迦如来は、唯一現世で悟りを開いた実在の人物とされるガウタマ・シッダールタ(釈迦)を基に神格化と脚色を重ねられた結果として形成された仏(如来)を指す。
左右に脇侍が付いた形式を釈迦三尊という。脇侍としては、文殊菩薩と普賢菩薩が多く、梵天と帝釈天、あるいは十大弟子である阿難と摩訶迦葉が付くこともある。

盧舎那仏

盧舎那仏は蓮華蔵世界に住むとされる仏であり、蓮華座の上に座っている。造形としては釈迦如来とほとんど異ならないが、蓮弁に線刻文様が描かれている点が独自の特徴である。
東大寺盧舎那仏像(奈良の大仏)が有名である。

薬師如来

薬師如来は、菩薩時代に十二の大願を立てることにより如来となった。東方の瑠璃光浄土に住むとされ、病気平癒の信仰を受けている。
像は、手に薬壷(やっこ)を持っている。三尊形式の場合、脇侍として付くのは、必ず日光菩薩(向かって右)と月光菩薩(左)である。脇侍とは別に、薬師如来を助け、薬師如来を信じる者をも守護する十二神将が従うことがある。

阿弥陀如来

阿弥陀如来は、法蔵菩薩が四十八の大願を立てて如来となり、西方の極楽浄土で説法を行っている。
平等院鳳凰堂は阿弥陀如来1体のみであるが、脇侍に観音菩薩・勢至菩薩を従えた阿弥陀三尊の形で祀られることが多い。

大日如来

大日如来は、密教において宇宙そのものと考えられている如来である。
顕教の如来と異なり、頭髪を結い上げ、宝冠を頂き、瓔珞(ようらく)、首飾り、腕釧、臂釧などの装飾品を着けている。

菩薩

菩薩(ぼさつ)とは、成仏を求め(如来になろうとして)修行を積む人の意味である。

一般的な姿は上半身に条帛(じょうはく)を纏って、下半身に裳を着け、天衣(てんね)を両肩から垂れ下げている。
髻を結い上げて宝冠を頂き、また瓔珞(ようらく)、耳璫(じとう)、腕釧(わんせん)、臂釧(ひせん)、足釧(そくせん)などの装飾品をしている。
地蔵菩薩だけは頭を丸めて宝冠もつけず、僧の姿で表される。

如来のような印は結ばず、それぞれ持物(じもつ)を持っている。弥勒菩薩を除き、多くが立像として表される。

観音菩薩

観音菩薩は、宝冠に化仏(けぶつ)を付けているのが特徴である。手に水瓶(すいびょう)又は蓮華を持っていることが多い。
そのうち、通常の一面二臂(「臂」(ひ)は手の意)の観音像を聖観音という。
これに対し、密教の影響の下に作られたのが、多面多臂の(顔や手の数が多い)変化観音である。
十一面観音は、頭上に東西南北を向いた10の面を有し、本面と合わせて11面となる。全ての方角を見て、あらゆる人を救済してくれることを意味する。
千手観音は、千本の手を有し、それぞれの手に1眼があり、千の手と千の眼で人々を救済してくれることを意味する。像としては、四十二手で千手を表すことが多く、それぞれの手に持物を有する。十一面を有することが多い。
馬頭観音は、忿怒の表情をし、頭頂に馬の頭を有する。不空羂索観音は、手に羂索(けんじゃく、人の悩みをとらえて救済するための縄)を持ち、三眼である(額に、縦に第3の目を持つ)。
如意輪観音は、「如意宝珠」と「法輪」を持つ。左脚を折り曲げ、右脚を片膝にして両足裏を付けた輪王座という独特の座り方をしており、右肘をついて頬に手を当てている。六臂のものが多い。
准胝観音は、インドで仏母とされていたものが密教と共に日本に来て観音となったものであり、三目十八臂のものが多い。
聖観音と以上の6体の変化観音を併せて七観音という。

地蔵菩薩

地蔵菩薩は、釈迦如来が入滅した後の六道世界において、弥勒菩薩が如来となって現れるまでの間、全ての世界に現れて人々を救う菩薩である。

普賢菩薩

普賢菩薩は、文殊菩薩とともに釈迦如来の脇侍となるが、独尊でも信仰される。仏の行を象徴する菩薩である。
法華経を信じる者のところには6つの牙を持つ白象に乗った普賢菩薩が現れると信じられており、法華経が女性も往生できることを明言していることから、平安時代、貴族の女性の間で信仰を集めた。
独尊の場合は、白象の上に乗っていることが多い。

文殊菩薩

文殊菩薩は、釈迦の賢弟であり、実在の人物であるとされる。普賢菩薩とともに釈迦如来の脇侍となるが、独尊でも信仰される。
仏の智恵を象徴し、学業祈願の信仰を受けた。
青い獅子の上に乗っていることが多く、右手に経巻(きょうかん)、左手に剣を持っていることが多い。

弥勒菩薩

弥勒菩薩は、既に修行を終えたものの、現在は兜率天にとどまっており、釈迦の入滅から56億7千万年後の未来に如来(弥勒如来)となって現れ、全ての人々を救済するとされている。
広隆寺の弥勒菩薩像のような弥勒菩薩半跏思惟像は、飛鳥時代・奈良時代に多く作られた。

明王

明王は、密教信仰特有の仏像である。

未だ教えに従わない救い難い衆生を力尽くでも帰依させるために、明王が大日如来の命を受けたとも、如来が自ら明王に変化したとも伝えられている。
恐ろしい外貌と激しい憤怒の相が特徴であるが、孔雀明王は唯一、慈悲を表した菩薩の顔をしている。

不動明王

不動明王は、インドや中国ではほとんど信仰の対象となっていなかったが、日本では密教を持ち帰った空海が胎蔵界曼荼羅の象徴として重視したことから、民衆の間に信仰が広まった。
左に索髪(さくはつ)を垂らし、右手に剣、左手に羂索を持つ。常に火の中にいることから、光背に迦楼羅炎がある。
向かって右に矜羯羅童子(こんがらどうじ)、左に制多迦童子(せいたかどうじ)を従えた三尊(不動三尊)の形式で祀られることが多い。

真言宗(東密)では、不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王の五つを五大明王という。東寺、大覚寺、醍醐寺、不退寺など多くの寺で、五大明王がそろって祀られている。

天部

天部とは、古代インドの神々(バラモン教、ヒンドゥー教、その他のインド神話の神々)が仏教に取り入れられた形である。
元の神性がどのようなものであれ、護法善神という役割を担っている。
姿形はそれぞれの神性に則っており、官服を纏った貴人(例:弁才天)、武具を装備した武将(例:帝釈天)、鬼にも似た精霊(例:乾闥婆)など、様々な者がいる。
以下に挙げるのは代表的な天部であるが、それ以外にも様々なものが存在する。

弁才天

弁才天(旧字体:辯才天)は、バラモン教の女神サラスヴァティーが仏教に取り入れられた形であるが、その起源はアーリア人の揺籃地と目されるカスピ海の東に広がるアムダリヤ川とシルダリヤ川に挟まれた流域に求められ、この流域の一河川が神格化されたものと考えられている。
元は河川神であるが、バラモン教の時代から既に知識と学芸の神でもあった。
当時の聖典(ヴェーダ)における扱いは決して大きくないが、庶民には人気があったと見られ、その特徴は後世のヒンドゥー教におけるサラスヴァティーにも仏教の弁才天にも引き継がれている。
日本では鎌倉時代の頃から日本古来の招財神と習合した弁財天という神格が派生し、吉祥天に代わって人気を集めた。
八臂の姿や琵琶を抱えた二臂の姿で描写される。

十二天

十二天とは、仏教の護法善神である十二の天部の総称。

帝釈天

帝釈天は十二天の一柱。古代インドにおける最古級の神の一柱で、バラモン教において最も人気のあった雷霆神にして武神・英雄神であったインドラが、仏教に取り入れられた形である。
悟りを開いた釈迦から逸早く教えを授かった二柱であり、仏教の二大護法善神となっている。

梵天

梵天は十二天の一柱。究極的にはアーリア人の哲学的概念に起源がある。
その概念は古代インドのウパニシャッド哲学によって体系化され、ヒンドゥー教において神格化されて創造神ブラフマーとなった。

仏画

仏画と言われる仏教絵画(ぶっきょうかいが)とは、仏教を題材とした絵画である。寺院の壁画、絹、紙、板に描いた絵画、版画等を含む。

日本の仏画の歴史

平安時代

奈良時代から密教系の仏像は制作されていたが、密教の受容は断片的なものであった。平安時代初期の9世紀になると空海、最澄らの僧が相次いで入唐(中国・唐へ留学)し、日本へ系統的な密教を伝えた。
両界曼荼羅は密教の世界観を象徴的に表したもので、空海が将来した原本は残っていないが、神護寺の通称・高雄曼荼羅は空海の時代に制作されたもので、空海将来の原本に近いものとされている。
両界曼荼羅はその後の時代にも引き続き多く制作されている。その他、密教の修法に用いるための各種の曼荼羅や仏画が制作された。

平安時代後期になると、源信の『往生要集』などの影響で、阿弥陀如来の住する西方極楽浄土への再生を願う浄土信仰が広まり、また、現世を仏法の衰えた末法の世とする末法思想が広まった。こうした関係で、この時代には阿弥陀如来来迎図、浄土図などが盛んに制作された。

また、宮廷、貴族を中心に法華経への信仰が高まり、法華経信者を護持するとされる普賢菩薩の像が盛んに作られた。この時代は日本の文化全体が中国の強い影響を次第に脱して和風化が進んだ時代であり、仏画にもその傾向が見られる。平安時代末期の12世紀は日本仏教絵画史のピークの1つで、東京国立博物館所蔵の普賢菩薩像をはじめ、金銀の箔や切金を多用した貴族的、耽美的な作品が数多く作られた。法華経を始めとする経典の中には華麗な彩色や金銀箔で料紙を装飾し、紐や軸にまで贅を凝らした、いわゆる装飾経の遺品がある。これらの経典の見返し絵もこの時代の仏教絵画として注目される。

平安時代後期に盛んに製作されるようになった絵巻物の中にも、寺院の開山縁起や高僧の伝記のような仏教を題材としたものが見られる。

鎌倉時代

この時代には前代に引き続き来迎図や装飾経なども制作されているが、六道輪廻思想を背景とした六道絵、亡者を裁く冥界の王たちを描いた十王像、日本の神を仏教の仏が姿を変えたものとする本地垂迹説に基づく垂迹画など、新しいジャンルが現れた時代でもあり、仏教絵画の内容は多彩になった。
祖師からの嗣法を重視する禅宗では祖師像を仏像と同様に尊重した。禅宗特有の形式による祖師像を頂相(ちんそう)と言い、大徳寺の大燈国師像などがこの時代の代表作である。
この時代の仏画は、平安時代のものに比べて一般に墨線を強調する傾向があり、様式的には中国・宋の影響が強い。

室町時代

この時代は、足利将軍家が禅宗を保護したことから前代にもまして禅宗が盛んになり、水墨による羅漢図、観音図などが盛んに制作された。東福寺に住した画僧・明兆(みんちょう)はこの時代を代表する作者で、彩色画、水墨画共に多くの作品がある。

近世以降

近世にも仏教絵画は多数制作されるが、この時代には形の上では障壁画、屏風絵、ジャンルの上では文人画、琳派、円山四条派、浮世絵など様々な絵画が制作され、仏教絵画は絵画史の主流であったとは言いがたい。ただ、この時代にも復古大和絵派の冷泉為恭(れいぜいためちか)や「五百羅漢図」を描いた狩野一信のように優れた仏画を残した作家もいる。

明治時代には岡倉覚三(天心)の指導を受けた日本美術院系統の画家によって多くの古い仏画の模写が行われ、また新しい仏画が描かれた。狩野芳崖の悲母観音図(東京芸術大学蔵)はその代表作といえよう。

仏具

仏具は、仏教の儀式で使用される日用品とは異なる特殊な道具、あるいは僧侶などの聖職者が使用する装飾品の事である。法具、法器とも言う。
7世紀になると、インドで広まった密教が中国やチベットに導入され、金剛杵や曼荼羅など、特殊な仏具が使用されるようになった。
また、中国で成立した浄土信仰は仏教を爆発的に民衆の間に広め、僧侶を介しての仏への信仰から個々の信者自身が直接仏へ信仰する形態が一般社会に定着し、数珠や仏画などの仏具を僧侶ではない普通の信者が家庭で使用するようになった。

仏具の一覧

三具足(五具足)

仏具の呼称の一つ。香炉・燭台(火立)・花立各一つずつで一組となる仏具の事。三具足に燭台と花立を各一つずつ足した物が五具足。

厨子

仏像・仏舎利・教典・位牌などを中に安置する仏具の一種である。

舎利塔

仏舎利を納める塔。仏塔を意味するが、中国・日本などでは室内に安置する仏塔形の小型の工芸品をさすことも多い。後世、水晶珠など小粒の硬い石を納め、仏舎利と同様に尊崇した。

香盒(香合)

香を収納する蓋付きの小さな容器。茶道具の一種であり、また仏具の一種でもある。香蓋 とも書かれるが当て字。また合子(ごうす、ごうし)ともいう。

経机(経卓)

読経の際に経典をのせる机。寺院本堂及び、仏壇の前に置かれる仏具の一種。黒または朱塗りの漆塗りのものと、唐木のものがある。

瓔珞

菩薩や密教の仏の装身具、または仏堂・仏壇の荘厳具のひとつ。

灯籠

灯籠はもともと仏像に清浄な灯りを献じるために仏堂などの前面に配置された。

金剛杵

日本仏教の一部宗派(天台宗・真言宗・禅宗)やチベット仏教の全宗派で用いられる法具。
仏の教えが煩悩を滅ぼして菩提心(悟りを求める心)を表す様を、インド神話上の武器に譬えて法具としたものである。

日本には奈良時代から平安時代にかけて中国から伝わったと考えられる。真言宗・天台宗などにおける密教の儀式や、真言宗・天台宗・禅宗(曹洞宗・黄檗宗)における施餓鬼会などで用いられる。

形状
基本的な形は棒状で、中央に柄(鬼目部)がある。鬼目は大日如来と観想され、行者は大日如来と一体化する行法としてその膨らみを握った。その上下に槍状の刃が付いている。刃の数や形によっていくつかのバリエーションがあり、それぞれ固有の名称をもつ。

種類
独鈷杵(とっこしょ、どっこしょ)・・・槍状の刃が柄の上下に一つずつ付いたもの。
三鈷杵(さんこしょ)・・・刃がフォークのように三本に分かれたもの。
五鈷杵(ごこしょ)・・・中央の刃の周囲に四本の刃を付けたもの。
七鈷杵(ななこしょ)・・・中央の刃の周囲に六本の刃を付けたもの。
鬼面金剛杵・・・柄に鬼の顔の飾りがついたもの。
金剛鈴(こんごうれい)・・・片側に刃のかわりに鈴が付いたもの。修法の時に神仏と一体化するために鳴らす。先端の形によって、五鈷鈴・三鈷鈴・独鈷鈴・宝珠鈴・塔鈴に分けられる。

梵鐘

東アジアの寺院などで使用される仏教法具としての釣鐘(つりがね)。
撞木(しゅもく)で撞き鳴らし、重く余韻のある響きが特徴。一般には除夜の鐘で知られる。

鈴(りん)

寺院用仏具は「磬」(きん)と呼ぶ。浄土真宗では「鏧」(きん)の字を用いる。
お鈴」(おりん)ということもある。

磬(けい)

寺院用仏具で「けい」と読む。元々は美しい音のする薄く板状の石で出来た鳴物で、「鏧」(きん)とは別の仏具である。現在は、石ではなく鋳物を用いる。

数珠(念珠)

穴が貫通した多くの小さい珠に糸を通し輪にした法具である。珠の数は108珠が基本である。各宗派の本式数珠以外だと数に決まりはない。
仏を念ずる時に用いる珠との意味から「念珠」(ねんじゅ)とも呼ばれる。字の前後を入れ替えて「珠数」と書く場合もある。

珠の材質
数珠の珠は、古い文献には七宝が良いとされるが、現在では菩提樹など様々な材質が用いられる。珠の材料により、価格には大きな差がある。
本水晶(玻璃)や珊瑚など明るい色合いのものは女性に好まれる。
高級な数珠用の素材としては、針入り水晶、本翡翠、象牙、ラピスラズリ、天竺菩提樹・沈香などが用いられる。

宝石

七宝
「瑠璃」(ラピスラズリ)・「玻璃」(本水晶)・「硨磲」・「珊瑚」・「瑪瑙」・「真珠」
七宝のうち「金」と「銀」は、天珠などに用いられる場合が多い。

その他の宝石・貴石
「翡翠」(本翡翠・ビルマ翡翠)・「ルチルクォーツ」(針水晶)・「色付き水晶」(紫水晶・茶水晶など)・「トルマリン」・「虎目石」・「琥珀」など

鉱石
「マラカイト」(孔雀石)・「アベンチュリン」(インド翡翠)など


木材・・・柘植、檜、正梅など
唐木・・・黒檀、紫檀、鉄刀木(たがやさん)
香木・・・沈香、白檀

果実
菩提樹・・・天竺菩提樹、蓮華菩提樹、星月菩提樹、金剛菩提樹、鳳眼菩提樹、龍眼菩提樹、虎眼菩提樹など
その他の果実・・・栴檀、ジュズダマ、モクゲンジまたはムクロジ

その他
天然素材・・・象牙
人口素材・・・ガラス、セルロイドなど

如意

僧が読経や説法の際などに手に持つ道具。
孫の手のような形状をしており、笏と同様に権威や威儀を正すために用いられるようになった。
「如意」とは「思いのまま」の意味。本来は孫の手の様に背中を掻く道具で、意の如く(思いのままに)痒い所に届くので、如意と呼ぶ。
中国製の如意は、玉や金銀銅、象牙や竹、木などで作られたものがあり、飾りに使われる宝石は翡翠や玉、水晶、珊瑚などが用いられている。
如意の中でも特に宮廷で使われたものは芸術的価値の高いものが多く、明朝や清朝に作られている。

経筒

経典を土中に埋納する経塚造営の際に、経典を納めるために用いる筒形の容器。
陶製や銅製・石製のほか、金銅製や鉄製など金属製のものがある。形状は小型の円筒形や宝珠形、六角宝塔形など多様。
上部中央には塔形や宝珠形、相輪形、乳頭形をしたつまみが付けられており、胴体部分には銘文が彫られ、願文や経塚造営に至る経緯、関係人物などが記される。
つまみの存在や、銘文にしばしば「宝塔」の語句が見られることから、塔を模しているものと考えられている。

経塚は末法思想の影響を受けて起こったもので、写経された経典を経筒に納め、さらに石製や陶製の外容器に納め副納品や除湿剤ともに石室内に安置する。
紙本経はほとんどの場合腐朽・消滅しているが、稀に残存していることがあり、また軸木のみ残っている場合もある。

瓦経

経塚に埋納するため,粘土板に錐,篦(へら)などで経典を書写して焼いたもの。
方形または方形に近い平板状が多い(縦約17~27cm,横約10~30cm,厚さ約1~3cm)。
通常表裏に界線・罫線を引き,1面10~15行が多い。
平安中期、末法思想の高まりによって作られるようになったといわれる。
瓦経は、岡山県の常福寺、鳥取県の大日寺、三重県伊勢(いせ)小町塚、福岡県飯盛山(いいもりやま)経塚のほか2、3例が知られるにすぎない。

柄香炉

柄の付いた金属製の香炉。
炉を左前方にして柄を両手で保持し,使用せぬ間は脇机(わきづくえ)など所定の場所に置く。香をたくのが本儀だが,略儀として香をたかずに使用することも多く,行道(ぎようどう)用に木製で形だけ作ったものもある。

払子

仏教の法要の際に僧が威儀を示すために用いる法具である。
麈尾(しゅび、しゅみ)、白払(びゃくほつ)ともいう。

獣毛や麻などの繊維を束ねて柄をつけたもので、本来は、インドで蚊や蠅など虫を追い払うために使われた道具であった。
中国の禅宗で煩悩を払う法具として用いられるようになり、道教でも用いられた。
日本では、鎌倉時代に禅宗とともに伝わり、後に、浄土真宗以外の各派で用いるようになった。

百万塔陀羅尼

奈良時代に制作された、100万基の木製小塔に、陀羅尼経を納めたものである。陀羅尼は、日本最古の印刷物である。

764年(天平宝字8年)、恵美押勝の乱で亡くなった人々の菩提を弔うと共に、鎮護国家を祈念するために、称徳天皇が『無垢浄光大陀羅経』の説くところによって制作された。

『続日本紀』宝亀元年(770年)四月二十六日条に、完成した百万塔を諸寺に納めたことが記されている。

この諸寺とは、大安寺・元興寺・興福寺・薬師寺・東大寺・西大寺・法隆寺・弘福寺(川原寺)・四天王寺・崇福寺の十官寺を指す。

百万塔
木製三重小塔。塔身と相輪の2つから構成されており、塔身内部に陀羅尼を納める構造となっている。
標準的なものは、総高21.2cm、基底部径10.6cm、塔身のみの高さ13.2cmである。
塔身はヒノキ、相輪は、細かな細工がしやすいサクラ、サカキ、センダン等の広葉樹が用いられる。

塔身及び相輪は轆轤で挽いて鑿で削り、軸部上端を筒状にえぐり、そこに陀羅尼が納められる。
相輪は塔身の上部にはめ込まれている。現在は殆どが素地になっているか、白色(胡粉もしくは白土)が残る程度だが、法隆寺所蔵品の中には、群青・緑青・朱・黄土色を残す基がある。
基底部の裏面、相輪の基底部等に、制作年月日や、制作者の氏名が墨書されたものがある。

陀羅尼
幅5.5cm、長さ25cm~57cmの料紙を繋げ、経巻にし、紙に包んでから、塔に納められた。
陀羅尼は印刷物であるが、これほど大量の印刷物を、1枚の木版で印刷することは、版が磨耗し、不可能なので、複数の版を用いたか、金属版を用いた可能性も指摘されている。
また、版ではなく、木製ないし銅製のスタンプを用いた説もある。