多々良 長幸(たたら ながゆき)は、江戸時代の摂津国の刀工。俗名は多々良四郎兵衛。紀州石堂の河内守康永の門弟となり、天和元年(1681年)に大坂に移住し、大坂石堂を起こしました。大坂新刀の代表的刀工の一人であり、石堂派でも抜きん出た名人で、新刀備前伝の第一人者とされています。また作品は多くはありませんが、中でも刀や脇差が多く、その他の作品は少なくなっています。
新刀上々作にして最上大業物。備前一文字の作を思わせる大丁子乱を得意としており、また、互の目刃の作や互の目丁子を焼いた末備前風のものもあります。