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買取品目刀剣

同田貫

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同田貫(どうだぬき)は九州肥後国菊池の同田貫(地名)を本拠地に、永禄頃から活躍した肥後刀工の一群。延寿派の末流とされています。銘を九州肥後同田貫、肥後州同田貫、肥後国菊池住同田貫などと切り、また個銘(刀工の名)もあります。中では加藤清正から一字を授かったという切銘の正国(九州肥後同田貫藤原正国、または上野介)が知られ、もともと同田貫は清正の抱えであった、とも伝えられています。装飾を全くと言っていいほど加えない、あまりにも質素な造りをしているが故に作柄の出来、見処(鑑賞価値)に乏しい作刀が多いと看做され、著名(後述)で高価だが美術品としての評価は低い刀工群であり、いわゆる剛刀と呼ばれる類の刀です。

15世紀末まで肥後北部を支配していた菊池氏の抱え刀工として「延寿」派(菊池氏が山城国より招いた「来派」の刀工国村を祖とする刀工一派)が活躍し、その延寿の分派として菊池市稗方に起こったのが同田貫の始まりと言われます。その後、正国・清国の兄弟をはじめ兵部・又八といった刀工たちが玉名に移住して鍛刀しました。

明治19年(1886年)11月10日、東京府麹町区紀尾井町の伏見宮貞愛親王邸に明治天皇の行幸があり、弓術、鉢試し、席画、能楽、狂言が催されました。その中の鉢試しは後に「天覧兜割り」と呼ばれています。その「天覧兜割り」で榊原鍵吉(直心影流)が日本刀の同田貫で鉢試しをしました。本来、兜は日本刀の斬撃に耐える物で斬れるはずはないとされていましたが、榊原は同田貫を用いて明珍作の十二間筋の兜を切り口3寸5分、深さ5分斬り込みを入れました。明治天皇も思わず「おぅー」と驚嘆したと言われています。兜割りは、榊原の剣豪としての名声を高め、同時に同田貫の強度を物語る逸話として知られています。

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