狩野 常信 | 掛軸 日本画 | 買取作家・取扱い品目 | 福岡の絵画・美術品・骨董品の高価買取なら「豊後」

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買取品目掛軸 日本画

狩野 常信

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1636年
京都出身。
1650年
月父の尚信が没した後、15歳で狩野派(木挽町狩野家)を継いだ。同年12月剃髪、養朴と号し家光にお目見え、後に家綱の御用を勤めた。父没後は狩野探幽に画を学んだとされる。古来より狩野元信・狩野永徳・狩野探幽とともに四大家の一人とされ高く評価されてきたが、狩野派内での地位が上がるのは遅かった。これは叔父で妻の父でもある狩野安信に疎んじられたからだと言われる。その間に中院通茂に和歌を学び、幕末に著された『古画備考』や『文翰雑編』には多くの歌が収録されている。また、徳川光圀の愛顧を得て、近衛家熈の言行を記録した『槐記』には、しばしば近衛家の画事を勤めた記事が載る。その一方で、探幽同様に古画の学習に努め、後に「常信縮図」(60巻、東京国立博物館蔵)と呼ばれる膨大な古画鑑定控え、粉本・画稿を残した。印章にも凝り、その数は150夥にも及んだという。
1682年
20人扶持を拝領、同年朝鮮通信使に贈る屏風二双を制作、更に訳官・洪世泰の肖像画を描いた。洪世泰は常信の画を「絶代奇筆」と最大限の賛辞を送った。
1704年
孔子廟に七十二賢像を描いた功で法眼に叙される。同5年(1708年)内裏造営で賢聖障子を描く。
1709年
前年の画事と江戸城修理の功績を賞され中務卿法印位を得た。
1710年
12月19日には200石を加増された。
1711年
通信使来日の際には、前より増えた屏風三双を手掛けた。
1713年
死去。

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