菊池 容斎 | 掛軸 日本画 | 買取作家・取扱い品目 | 福岡の絵画・美術品高価買取なら美術品店「豊後」

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買取品目掛軸 日本画

菊池 容斎

1788年
幕府西丸の御徒・河原専蔵武吉の次男として、江戸下谷長者町で生まれた。
1804年
幼いときから絵を描くのが好きだったが、画を学ぶことを父から許されなかった。16歳の時に描いた両親の肖像画を見て初めてその伎倆を認められ、許しが出たという。
1805年
高田円乗に師事し、狩野派や南蘋風の絵を学ぶ。円乗の死後は師につかず、その教えを守り流派にこだわらずにその長所をとることに努めた。生活は楽ではなかったが、画を認めてくれた旗本・久貝正典の財政援助を得て「阿房宮兵燹の図」「呂后斬戚夫人図」などの大作を描いた。学問上の知己として羽倉簡堂がいる。
1825年
西丸御徒勤めを辞して作画が本格化したとみられる。
1827年
京や大和に5年ほど滞在して円山四条派や土佐派、浮世絵を学び、有職故実や古器物の研究を行う。
1836年
この成果が職を辞した年から取り掛かり、天保7年(1836年)に完成させた『前賢故実』である。これは10巻より成り、神武天皇の時代から、後亀山朝にいたる日本史を代表する500人を選び、画の上にそれぞれ小伝を加えるか、または詩歌を掲げたものである。この著は容斎の歴史趣味と尊皇愛国の精神を遺憾なく伝えた代表作である。
1868年
明治元年(1868年)9月に刊行。明治天皇が東京に遷るときにあたって推薦する人があり、右大臣・三条実美と左中将・東久世通禧の働きによって天皇の目に留まり、容斎は天皇より「日本画師」の号を賜られた。一説によると刊行前に孝明天皇に献上され、天皇を動かして和気清麻呂に神号を追贈させるきっかけとなったという。
1874年
「土佐日記絵巻」2巻を描く。
1877年
内国勧業博覧会に出品し、最高の竜紋褒賞を授与された。
1878年
神田お玉が池の自宅において逝去。

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