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買取品目掛軸 日本画

司馬 江漢

1747年
江戸の町家に生まれた。
1761年
15歳の時父の死を切っ掛けに、表絵師の駿河台狩野派の狩野美信(洞春)に学ぶ。しかし次第に狩野派の画法に飽きたらなくなる。
1765年
19歳のころ紫石と交流のあった鈴木春信にも学んで浮世絵師となり、錦絵の版下を描いた。
1771年
25歳ころ、おそらく平賀源内の紹介で西洋画法にも通じた宋紫石の門に入る(源内が書いた「物類品隲」の中で宋紫石のヨーロッパ的リアリズムにいたく感嘆する)。ここで南蘋派の画法を吸収し漢画家となった(当時、写実的な漢画の表現は流行の先端を行くものだった)。ただし、初めに狩野派を学んだのは確かだが、師事した順番は諸説あってはっきりしない。後に洋風画を描くに至った。源内と接点があり、彼を通じて前野良沢や小田野直武に師事したとも言われている。
1779年
33歳までに、直武に洋風画を学ぶ。良沢の門に入り、大槻玄沢らの蘭学者と接する。
1782年
玄沢の協力により蘭語文献を読み、銅版画の製作に成功した。
1783年
自作の銅板画6点とそれを覗く反射式覗眼鏡(のぞきめがね)を売り出した。
1788年
42歳の時、江戸に参府していたオランダ商館の外科医ストゥッツエルの所持していた『ジャイヨ世界図』(フランス、1720刊)を模写する。一人で長崎への旅に出る。藤沢より西を知らなかった江漢は、東海道から仰ぐ富士の姿に心を打たれ、後年、数多くの富士を描いている。旅の途中で見た風景を写生する、それは『見たままを正確に写し取る』という精神に彩られていた。長崎で一ヶ月余滞在し、オランダ通詞の吉雄耕牛や本木良永らと交流する。また、ストゥッツエルの紹介でロンベルク商館長を訪問し、オランダ船に乗船する機会を得た。平戸で松浦静山に会い、所蔵の洋書類を見聞した。さらに、生月島で捕鯨を関することが出来た。
1818年
享年72。

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