鈴木 松年 | 掛軸 日本画 | 買取作家・取扱い品目 | 福岡の絵画・美術品高価買取なら美術品店「豊後」

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買取品目掛軸 日本画

鈴木 松年

1848年
京都東洞院錦小路で生まれる。
1868年
本格的に画家になるのを決意したのは20歳を過ぎた頃だった。
1870年
しかし、父の盛名からかその実力を正しく評価されなかったため、22歳の時円山の正阿弥楼で一日千枚描く席画会を企画、これを成功させその健筆を周囲に認めさせた。独立して百年の住居の裏に当たる東洞院錦上ルに画室兼住居を設け、地名にちなんで「東錦楼」と称した。曾我蕭白や岸駒に私淑し、その豪快な表現や画家としての気位を学ぶ。
1872年
24歳の頃洋画も独学している。
1876年
28歳の時長野県飯田に遊歴し、たまたま富士登山に行く途中の富岡鉄斎と出会い、度々鉄斎を訪ねたという。
1880年
32歳頃に画号を「松年」と改めるが、これは古来「松に千年の翠あり(松樹千年翠)」と言われたことから、父百年を越えようとする松年の矜持が窺える。
1881年
幸野楳嶺に代わり京都府画学校の北宗担当の副教員(教授職)となり、明治21年(1888年)まで務めた。松年は才気に勝り気性激しく、同時期の画家としばしば争った(後述)が、一方で豪快な中にしみじみとした人情味もあり、画学校で教授を務めた時も生徒の受けは非常に良かったという。
1882年
第一回内国絵画共進会に「蘇東坡図」「老松図」を出品し褒状を受ける。
1884年
同第二回展も銅賞。更に翌年の第四回京都博覧会で発表した「蓬莱山図」で妙技賞銅牌を受け、日本美術協会にも出品した。
1888年
41歳の時、京都府画学校を退職。
1890年
第三回内国勧業博覧会では「雪景山水図」が妙技三等。
1892年
森寛斎、谷口藹山、岸竹堂、望月玉泉らと小春会を結成、古画の研究に努めた。
1893年
シカゴ万国博覧会に「雪中寒鴉図」「春景山水図」を出品する。第四回内国勧業博覧会でも、「群仙図」「嵐山春景」を出品、後者で再び妙技三等。
1896年
日本美術協会が結成されると、その第一回共進会に「月下擣衣図」を出品、一等褒状を受ける。
1899年
日本絵画協会第七回日本美術院連合第二回展で「秋林」が銅賞。
1900年
パリ万国博覧会で発表した「松㵎水声」で銅賞を取る。
1907年
『大日本著名画家名鑑』という番付表では、今尾景年、橋本雅邦、望月玉泉、森琴石らと並んで「総後見」にランク付けされており、地位の高さを示している。松年には信心深い一面もあり、相国寺瑞春庵の堂宇再建のため百幅の羅漢図を寄付し、覚王山日泰寺には五百幅もの羅漢図を、潤筆料も取らずに揮毫したとの逸話も残る。
1914年
仏画を多く描いた潤筆料で、永観堂の名で知られる禅林寺に、画仙堂という建物を寄進・上棟し、その天井画を息子松僊に描かせている。
1918年
1月29日脳溢血により死去。71歳。

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