買取品目掛軸 日本画
曽我 蕭白
- 1730年
- 京都に生まれる。
- 1759年
- 作品も制作時期のわかるものはきわめて少ないが、29歳前後と35歳前後の2回、伊勢地方に滞在したことがわかっている。1回目の伊勢滞在時には、その人柄と出生年を示す逸話が残る。津から二里ほど離れた黒田村の浄光寺に1年ほど滞在していたが、絵を描こうともせず、毎日本堂に行っては昼寝ばかりしていた。ある日、蕭白は朝食もとらずに本堂に籠っていたが、いつものことと放っておいた。ところが、昼になっても夜になっても出てこないので不思議に思って本堂へ行ってみると、その内陣の左右の壁面に「十六羅漢」の図、欄間には「葡萄」の図が描いてあり、蕭白の姿はどこにもなかった。その画には「宝暦九曾我氏三十歳筆」と落款があり、宝暦9年(1759年)に30歳であることが確定した。なお、これらの作品は現存していない。
- 1764年
- 『群仙図』、『旧永島家襖絵』などの代表作は2回目の伊勢滞在時に描かれたものと考えられている。
- 1772年
- 安永元年(1772年)頃から亡くなるまでは京都に居を構えた。
- 1774年
- 安永4年(1774年)刊行の『平安人物志』には、20人中15番目に載っており、住所は京都上京と記されている。
- 1777年
- 息子が夭折
- 1781年
- 死去。
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