買取品目掛軸 日本画
下村 観山
- 1873年
- 和歌山県和歌山市小松原通5丁目に、代々紀州藩に仕える小鼓方幸流の能楽師の3男として生まれる。
- 1881年
- 8歳のとき、一家で東京へ移住。父は篆刻や輸出象牙彫刻を生業とし、兄2人も後に豊山、栄山と名乗る彫刻家となった。観山は祖父の友人だった藤島常興に絵の手ほどきを受ける。常興は狩野芳崖の父・狩野晴皐の門人だったことから、芳崖に観山を託す。
- 1883年
- 観山初期の号「北心斎東秀」は芳崖が授けととされ、1883年(明治16年)観山10歳の頃にはもう使用していたとされる。
- 1886年
- 芳崖が制作で忙しくなると、親友である橋本雅邦に紹介して師事させる。
- 1889年
- 東京美術学校(現・東京藝術大学)に第一期生として入学。
- 1898年
- 卒業後は同校で教えていたが、1898年に岡倉覚三(天心)が野に下ったときに行動を共にし横山大観、菱田春草とともに日本美術院の創設に参加した。
- 1906年
- 天心が日本美術院を茨城県北部の五浦海岸へ移した際、大観、春草、木村武山とともに同地へ移住し画業を深めた。
- 1917年
- 帝室技芸員となる。
- 1930年
- 死去。
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