買取品目掛軸 日本画
川端 玉章
- 1842年
- 京都高倉二条瓦町で、蒔絵師左兵衛の子として生まれる。
- 1853年
- 11歳の時、三井高喜(出水家)や三井高弘(南家)らに絵の巧さを認められ、高喜の紹介で中島来章に入門。一方で、画論を小田海僊に学ぶ。
- 1867年
- 江戸に移住。
- 1872年
- 高橋由一に油絵を学ぶ。同年三井家の依頼で、三囲神社に「狐の嫁入り」扁額を描く。この絵は現存しないが、これが玉章の出世作となる。しかし、その頃は生活が苦しく、版下絵や新聞の付録画まで描いたという。
- 1877年
- 第一回内国勧業博覧会で褒状。
- 1878年
- 画塾天真堂を創設。
- 1879年
- 龍池会設立に関与。
- 1882年
- 第一回内国絵画共進会
- 1884年
- 第二回で共に銅賞を受け頭角を現していく。
- 1890年
- 岡倉覚三(天心)によって東京美術学校に円山派の教師として迎えられる。
- 1891年
- 玉章より一世代若い画家たちによる日本青年絵画協会設立の際にはこれを援助、事務所は玉章邸に置かれた。
- 1896年
- 日帝室技芸員。
- 1897年
- 古社寺保存会委員。
- 1898年
- 日本美術院会員、文展開設以来審査員を務める。
- 1909年
- 小石川下富坂町に川端画学校を開設。
- 1913年
- 令息茂章宅で発作、同14日午後4時15分に長く患っていた中風のため死去。
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