荻原碌山 | 彫刻・ガラス工芸 | 買取作家・取扱い品目 | 福岡の絵画・美術品・骨董品の高価買取なら「豊後」

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買取品目彫刻・ガラス工芸

荻原碌山

1879年
穂高矢原に生れる。本名は荻原守衛。
1899年
美術家を志して上京し、巣鴨の明治女学校の巌本善治を訪ね、画室「深山軒」を建てて住む。不同舎で絵を学ぶ。
1900年
井口喜源治と共に内村鑑三の夏期講習会に出席する。終了後、富士登山を行う。
1901年
意を決してニューヨークへ渡米する。フェアチャイルド家の家僕となって働きながら美術学校に通い、洋画の研究を行う。
1903年
ニューヨークからパリへ渡る。アカデミー・ジュリアンに通ってローランスに指導を受ける。パリに7か月滞在後、ニューヨークへ戻り、美術学校で石膏像の木炭写生や写生のもとになる解剖学を学び、彫刻の基礎を築く。
1906年
再びパリに渡り、アカデミー・ジュリアンで彫刻に専念し、傑作「坑夫」を制作する等して、彫刻の競技会で5回連続入賞する。号を碌山と称する。西洋・エジプトの古代美術の研究をする。
1907年
イギリスに渡り、ロンドンの大英博物館で古美術を見たり、高村光太郎を訪ねて画談等を行う。
1908年
京都・奈良の古美術を探り、新宿角筈町にアトリエ「オブリビリオン」(忘却庵)を建てて住む。「文覚」が第二回文展で入賞する。
1910年
絶作「女」が完成する。友人柳敬介の画室の建築を監督し落成した日、中村屋の一室で急病で倒れ、2日後に亡くなる。

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