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買取品目彫刻・ガラス工芸

岡本 太郎

1911年
母の実家である神奈川県橘樹郡高津村二子/現在の川崎市高津区二子に生まれる。
1917年
東京・青山の青南小学校に入学。
1918年
2回の転校ののち、東京・渋谷の慶應幼稚舎に入学。
1929年
慶應義塾普通部を卒業、東京美術学校(現・東京芸術大学)洋画科入学、半年後中退。父のロンドン軍縮会議取材に伴い、渡欧。その後、パリ大学ソルボンヌ校で哲学・美学・心理学・民族学を学ぶ。
1940年
パリ陥落の直前に帰国。
1942年
海外に在住していたために延期されていた徴兵検査を31歳にして受け、甲種合格。召集され、中国にて自動車隊の輜重兵として軍隊生活を送る。
1945年
東京・南青山高樹町一帯を襲ったアメリカ軍の焼夷弾による空襲により、岡本太郎のパリ時代の全作品が焼失。
1946年
復員、東京都世田谷区上野毛にアトリエを構える。
1948年
花田清輝、埴谷雄高らと「夜の会」結成。
1950年
読売新聞主催の現代美術自選代表作十五人展に11作品を出品。
1954年
アトリエを青山に移し「現代芸術研究所」を設立。『今日の芸術』を光文社からはじめて刊行。
1948年
花田清輝、埴谷雄高らと「夜の会」結成。
1955年
ヘリコプターで銀座の夜空に光で絵を描く。
1964年
東京オリンピックの参加メダルの表側をデザイン。
1967年
大阪万国博覧会のテーマ展示プロデューサーに就任。
1970年
大阪の日本万国博覧会のテーマ展示館『太陽の塔』完成。
1976年
キリン・シーグラムから発売されたブランデーの記念品として《顔のグラス》を制作。「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」が流行語になる。
1977年
スペイン国立版画院に、日本人作家として初めて銅版画が収蔵される。
1984年
フランス政府より芸術文化勲章オフィシエを受章。
1985年
つくば万博のシンボルモニュメント《未来を視る》を制作。
1989年
フランス政府より芸術文化勲章コマンドゥールを受章。
1994年
三重県で開催される世界祝祭博覧会のシンボルモニュメント『であい』制作。
1996年
1月7日 急性呼吸不全のため慶應義塾大学病院にて逝去(満84歳没)。

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