宮川 長春 | 掛軸 日本画 | 買取作家・取扱い品目 | 福岡の絵画・美術品高価買取なら美術品店「豊後」

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買取品目掛軸 日本画

宮川 長春

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1682年
尾張(愛知県)海西郡宮川村の出身(美濃安八郡大榑村説もあり)。俗称は長左衛門。始め菱川姓を名乗る時期もあったようである。春旭堂と号した。はじめ狩野派や土佐派に学んだといわれる。作中の樹木などの背景描写に江戸狩野派的な要素が見られ、稲荷橋狩野家の狩野春湖元珍に学んだとも推測される。しかしそれに飽きたらず菱川師宣に私叔し、懐月堂派の立美人図の影響を受け、流麗な描線と上質な絵の具を用いた丁寧な彩色による艶麗で気品ある肉筆美人風俗画で大成し、宮川長春を名乗った。
1750年
表絵師稲荷橋狩野家当主の狩野春賀に招かれ、宮川一門を率いて日光東照宮の彩色修理を手伝ったのも、その事を例証する逸話であろう。ところがこの時春賀はその報酬を着服して支払わず、翌年の12月29日長春は催促に訪れた春賀邸で暴行を受けてしまう。長春はこの時、打擲されて荒縄に縛られごみ溜めに棄てられたといわれる。長春の息子長助は、報復のため門弟と共に春賀宅を夜襲、春賀を殺害した他、その家人を2名ないし4名を殺傷した。この事件は喧嘩両成敗となり、稲荷橋狩野家は断絶、春賀の子春朝は八丈島に遠島となった。
1752年
宮川派は、長春が間もなく亡くなった事からその身代りとして、高弟の一笑が伊豆新島に配流、長助は死罪に処せられたとも自殺したとも伝えられる。享年71。

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