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買取品目掛軸 日本画

田能村 直入

1814年
豊後直入郡竹田町(現在の大分県竹田市)生まれ。
1823年
9歳のときに竹田の画塾に入門。才能を見いだされ養嗣子となる。兄弟子には高橋草坪、帆足杏雨がいた。画のほか儒学を角田九華、漢詩を広瀬旭荘に学び、表千家茶道、香道、東軍流の剣術も身につけた。
1834年
竹田に伴って大阪入りし、大塩平八郎の洗心堂で陽明学を学び、佐武理流の槍術免許を得る。藤沢東畡、篠崎小竹、後藤松陰、広瀬旭荘、岡田半江などと交わった。
1835年
師竹田が没した後しばらくは京阪を遊歴して過ごしていたが、27歳で堺に落ち着くと詩社咬菜吟社を設立。門人が300人以上集まったという。
1849年
35歳のときに黄檗僧天沖真一に参禅し印可と居士号を授かる。大坂天王寺修復の折りに羅漢像五百幅を画いて寄贈。
1860年
46歳のとき高麗橋に移り、竹田25回忌を難波瑞龍寺にて執り行い師の供養に努めた。また竹田の意志を継ぎ、煎茶の普及に尽力した。
1862年
売茶翁百年忌に淀川下流の青湾にて「青湾茶会」という煎茶席を主催。このとき百幅の肖像を画きその場で頒布している。1200人が来場し活況だったという。この模様は『青湾茶会図録』にまとめられている。
1865年
青湾茶寮を営み、高野山でも茶会を催した。
1877年
63歳のときには京都博覧会開催に尽力。出品し受賞している。天皇の行幸のとき御前にて揮毫する栄誉に浴している。
1878年
京都府画学校の設立を幸野楳嶺らと京都府知事槇村正直に建議した。
1880年
開校となり直入は摂理(校長)に就任。
1884年
しかし、各画派の衝突が絶えず明治17年(1884年)に責任をとって辞職する。なお、京都府画学校はのちの京都市立芸術大学の前身である。
1896年
富岡鉄斎、谷口藹山らとともに日本南画協会を設立。私塾を協会に合併した。
1899年
86歳にして黄檗山塔頭獅子林の住持となる。竹田65回忌追薦書画会や煎茶・抹茶席を設け、書物宝物展の開催など精力的な活動を行っている。
1907年
しかし、前官長との確執が高じて、明治40年(1907年)、僧籍を離れる。同年1月、死没。享年95。門弟に田近竹邨・児玉果亭・田中柏陰・服部五老・川村清雄などがいる。

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