田崎 草雲 | 掛軸 日本画 | 買取作家・取扱い品目 | 福岡の絵画・美術品・骨董品の高価買取なら「豊後」

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買取品目掛軸 日本画

田崎 草雲

1815年
江戸小川町(現在の千代田区)足利藩江戸藩邸に足軽二人扶持の祐筆、田崎恒蔵の長子として生まれる。幼少より絵に長じて縁戚の金井烏洲、次いで谷文晁門下となる。
1835年
家督を継母の連れ子に譲るため、足利藩を脱藩。放浪の後、江戸の加藤梅翁の門下となり号を梅渓とする。
1840年
谷文晁没す。
1843年
独立して浅草山谷堀の裏店に家を借りるが絵はまったく売れず。明の盛茂燁の山水画に傾倒、研究を重ねる。この前後、松浦武四郎、小野胡山らの紹介により玉池吟社の梁川星巌に謁し、感化されるところが多く画論の研究を進める。また尊王思想についても共感するところがあった。
1850年
この頃、禅学に傾倒、草雲の号を使う。周囲の評価も高まる。
1855年
妻の菊子が狂死。翌年、草雲は江戸を去り足利へ帰郷。藩へ絵師として復帰する。
1858年
尊王志士と交わり幕府の嫌疑を受ける。安政の大獄の難を遊歴をすることで避ける。
1868年
藩主以下重臣に説き藩論を尊王に統一させる。藩内の百姓を徴兵した「誠心隊」差図役として足利山麗会議にも出席。藩の防衛に努めた。一方、実子の格太郎は妻と自殺する。
1876年
第1回内国勧業博覧会へ画を出品し、高評を得る。
1878年
蓮岱寺山(現足利公園内)に草庵の白石山房をたてる。足利では多く弟子をとり絵画を教えた。ただし、単に絵を欲しがるだけの人物は軽くあしらうことが多かったという。足利の酒屋は草雲から金をとらず、かわりに絵を描いてもらうことが多かった。
1890年
皇居の杉戸図を描く。同年10月2日、帝室技芸員を拝命。
1898年
死去。墓は足利の西宮長林寺。栃木市西方町真名子にも分骨された墓がある。

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