買取品目絵画 浮世絵
川瀬 巴水
- 1883年
- 東京府芝区(現港区)に糸組物(組紐)職人・庄兵衛の長男として生まれる。本名は文治郎。
- 1897年
- 川端玉章門下の青柳墨川に日本画を学ぶ。
- 1908年
- 25歳で父親の家業を継ぐが画家になる夢を諦めきれず、妹夫婦に商売を任せ、日本画家・鏑木清方の門を叩いたが、20代も半ばを過ぎた遅い始まりに難色を示され洋画家の道を進められた。その為当時、洋画家の集まりとして知られた白馬会葵橋洋画研究所に入り岡田三郎助から洋画を学ぶ。
- 1910年
- しかし洋画の世界では挫折を経験し27歳の時、一度は入門を断られた清方に再度入門を申し出て許されると2年の修行を経て1910年(明治43年)に「巴水」の画号を与えられる。
- 1918年
- 師の清方が得意とした美人画で行き詰まりを感じ始め、同門・伊東深水の版画「近江八景」に影響を受けて版画家に転向。当時浮世絵版画は衰退の一途を辿っていたが、幼い頃によく滞在した栃木県塩原を描いた風景版画「塩原おかね路」、「塩原畑下り」を製作、数々の作品を新版画に力を入れていた渡辺版画店より発表し始める。これらを第一作として終生、夜、雪などといった詩情的な風景版画を貫いた。始めは伊東深水の影響が大きかったが、次第に歌川広重や小林清親の風景版画を研究していき、技法的な工夫も見られる。また全国各地に取材しており、数量も多い。新版画家中、織田一磨による石版画の風景画に対抗するかのように、木版風景画で良く知られた存在である。
- 1920年
- 「旅みやげ第一集」完成。
- 1921年
- 「東京十二題」、「旅みやげ第二集」完成。
- 1923年
- 精力的に活動をしていた矢先、関東大震災で被災、多くのスケッチを失い一時失意の底に沈んだ。
- 1926年
- 「日本風景選集」完成。
- 1929年
- 「旅みやげ第三集」完成。
- 1930年
- 「東京二十景」完成。同年、東京府荏原郡馬込町平張975番地(現大田区南馬込3丁目17番地)に洋館づくりの家を建てる。
- 1936年
- 「日本風景集東日本編」完成。
- 1939年
- 朝鮮へ旅行、「朝鮮八景」完成。
- 1952年
- 「増上寺の雪」が無形文化財技術保存記録の作品に認定された。
- 1957年
- 自宅において胃癌のため死去。享年74。
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