買取品目絵画 浮世絵
葛飾 北斎
- 1760年
- 武蔵国葛飾郡本所割下水(江戸・本所割下水。現・東京都墨田区の一角。)にて生を受ける。
- 1764年
- 幕府御用達鏡磨師であった中島伊勢の養子となったが、のち、実子に家督を譲り、家を出る。その後、貸本屋の丁稚、木版彫刻師の従弟(とてい)となって労苦を重ね、実家へ戻る。この時、貸本の絵に関心を持ち、画道を志す。
- 1778年
- 浮世絵師・勝川春章の門下となる。狩野派や唐絵、西洋画などあらゆる画法を学び、名所絵(浮世絵風景画)、役者絵を多く手がけた。また黄表紙の挿絵なども描いた。この頃用いていた号は「春朗(しゅんろう)」であるが、これは師・春章とその別号である旭朗井(きょくろうせい)から1字ずつもらい受けたものである。
- 1779年
- 役者絵「瀬川菊之丞 正宗娘おれん」でデビュー。
- 1794年
- 勝川派を破門される。理由は、最古参の兄弟子である勝川春好との不仲とも、春章に隠れて狩野融川に出入りし、狩野派の画法を学んだからともいわれるが、真相は不明である。ただ融川以外にも、3代目堤等琳についたり、『芥子園画伝』などから中国絵画をも習得していたようである。
- 1795年
- 「北斎宗理」の号を用いる。
- 1798年
- 「宗理(そうり)」の号を門人琳斎宗二に譲り、自らは「北斎」「可侯(かこう)」「辰政(ときまさ)」を用いる。
- 1802年
- 狂歌絵本『画本東都遊』刊行開始。
- 1805年
- 「葛飾北斎」の号を用いる。
- 1810年
- 「戴斗(たいと)」の号を用いる。
- 1812年
- 秋頃、名古屋の牧墨僊邸に逗留、その後、関西(大坂、和州吉野、紀州、伊勢など)方面へ旅行する。
- 1814年
- 『北斎漫画』の初編を発刊。
- 1817年
- 春頃、名古屋に滞在。10月5日、名古屋西掛所(西本願寺別院)境内にて120畳大の達磨半身像を描く。年末頃、大坂、伊勢、紀州、吉野などへ旅行する。この時、春好斎北洲が大坂にて門人になったとされる。
- 1820年
- 「為一(いいつ)」の号を用いる。
- 1823年
- 『富嶽三十六景』の初版は文政6年(1823年)に制作が始まり、天保2年(1831年)に開版、同4年(1833年)に完結する。
- 1834年
- 「画狂老人(がきょうろうじん)」「卍(まんじ)」の号を用いる。『富嶽百景』を手がける。
- 1844年
- 向島小梅村に、また浅草寺前に住む。大塚同庵の紹介により歌川国芳と出会う。信濃国は高井郡小布施に旅し、嘉永元年(1848年)まで滞在。『怒涛図』(右の絵はその一部)などを描く。
- 1849年
- 江戸・浅草聖天町にある遍照院(浅草寺の子院)境内の仮宅で没する。享年90。
葛飾 北斎の高価買取なら
豊後にお任せください!