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愛新覚羅溥傑

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1907年
醇親王載灃とグワルギャ氏(瓜爾佳氏)・幼蘭の次男として生まれた
1924年
馮玉祥と孫岳が起こした第二次奉直戦争に伴うクーデター(北京政変)が発生。この事を受けて溥傑も日本政府の庇護を受けた。
1929年
3月に婉容皇后の実弟の潤麒と共に来日し、日本語等の学習後に、学習院高等科に留学する。
1932年
3月に、日本軍の支援を受けて満洲国が建国され、兄の溥儀が満洲国執政(のちに満洲国皇帝)となる。
1933年
3月、学習院高等科卒業。同年9月、陸軍士官学校本科入学。
1935年
7月に卒業して見習士官に任官。同年9月に満洲国陸軍に入隊する。
1938年
10月、満洲国駐日大使館附武官室勤務を命じられて東京に赴任。
1939年
11月に奉天の歩兵将校軍官学校教官に任官される。
1941年
新京の満州国軍官学校で教鞭を執る。同年12月に日本がイギリスやアメリカなどの連合国と交戦状態に入ったことを受け、満洲国もこれらの国々と戦争状態に入ったものの、満洲国はほとんど戦禍を受けなかったために、満洲国陸軍の将校として前線に出ることはなかった。
1943年
日本の陸軍大学校に入校したため、溥傑とその一家はしばらくの間、東京に居を移すこととなった。
1945年
8月15日に太平洋戦争に日本が敗北したことにより、その2日後の8月17日に国務院会議が満洲国の解体を上奏、8月18日には大栗子で溥儀が満洲国解体を自ら宣言するとともに皇帝を退位した。溥儀と溥傑は、ソ連軍に捕まることを避けて通化から日本軍機で日本へ逃亡する途中、経由地の奉天の飛行場で赤軍空挺部隊に捕らえられた。その後ソ連領内に移送され、ソ連極東部のチタとハバロフスクの強制収容所に収監された。
1960年
模範囚として釈放され、北京に帰る。
1972年
日中国交正常化の後、7度の訪日で日中友好の架け橋として活躍した。
1991年
立命館大学より名誉法学博士の名誉学位を贈呈されている。
1994年
北京で死去した。

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