買取品目掛軸 日本画
伊藤 若冲
- 1716年
- 京都錦小路の青物問屋「桝屋」の長男として生まれる。
- 1738年
- 父・宗清没。23歳で「桝屋」の当主となり、四代目伊藤源左衛門を名乗る。若冲は、学問が嫌いで字も下手。芸事も出来ず、娯楽も一切受け付けなかった。そんな若冲にとって、当主の務めである商売上の付き合いや会合は、苦痛そのものだった。絵を描き始めたのは、当主となってしばらく経った20代終わり頃から。
- 1752年
- 梅荘顕常(大典)と知り合う。この頃から若冲居士と号する。
- 1755年
- 次弟・宗厳(白歳)に家督を譲る。茂右衛門と改名。40歳で隠居。以後、画業に専念する。
- 1758年
- 「動植綵絵」制作に着手。花鳥画三十幅を作り、後世に遺そうと描き始めた。
- 1759年
- 鹿苑寺大書院障壁画に着賛。画家となってから、わずか4年目にまかされる。起用の背景には、大典の後押しがあったと思われる。
- 1765年
- 「釈迦三尊像」三幅と「動植綵絵」二十四幅を相国寺に寄進。相国寺と永代供養の契約を結ぶ。
- 1776年
- 石峰寺「五百羅漢石像」の制作に着手。
- 1788年
- 天明の大火により、若冲の住まい、相国寺焼亡。若冲の人生を一変させた事件。これまで何不自由なく画業を営んでいたが、大火後は絵を売って糧とするようになった。
- 1790年
- 大阪・西福寺「仙人掌群鶏図」制作。大病を患う。
- 1791年
- 相国寺との永代供養の契約を解除。
- 1800年
- 死去。85歳。
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