大橋 翠石 | 掛軸 日本画 | 買取作家・取扱い品目 | 福岡の絵画・美術品・骨董品の高価買取なら「豊後」

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買取品目掛軸 日本画

大橋 翠石

1865年
卯三郎少年は、幕末も終わろうという慶応元年4月(1865年5月頃)、美濃国安八郡大垣町内(幕藩体制下の濃州大垣藩知行大垣町内。のちの岐阜県安八郡大垣北新58番戸、現在の大垣市新町2丁目)で紺屋を営む大橋家に生まれた。
1895年
31歳の時、京都・岡崎で開催された第4回内国勧業博覧会に『虎図』を出展し、褒状・銀牌を受賞する。京都青年絵画共進会に『猛虎図』を出展し、2等を受賞。
1896年
大阪私立絵画共進会に『月下虎図』を出展して、望月玉泉・山元春挙らと3等銅賞を受賞。
1897年
京都第1回全国絵画共進会に『虎図』を出展し、4等を受賞[1]。東京美術協会展に出展し、2等を受賞。
1898年
日本美術画会に出展。東京美術協会展に出展。
1899年
大阪南画展覧会に出展し2等を受賞。全国絵画共進会に出展し、3等を受賞。愛知全国絵画共進会に出展。
1900年
パリ万国博覧会で『猛虎図』が優等金牌を受賞。
1901年
作品が宮内庁御用品となる。
1903年
農商務省主催の第5回内国勧業博覧会に『双虎図』を出展し、2等を受賞。
1904年
セントルイス万国博覧会に出展し、優等金牌を受賞。
1907年
東京府勧業博覧会に『猛獅図』を出展し、2等を受賞。
1910年
日英博覧会に出展し、優等金牌を受賞。
1913年
宮中に虎図を納入し、350円を下賜される。
1918年
大垣祭(大垣八幡神社の例祭)の山車「軕(やま)」の一つである「菅原軕(すがわらやま)」(郷里・大垣新町の軕)の見送り(やまの背面につられる画面)に最初の虎図を描く。
1924年
菅原軕の見送りに極彩色の虎図『岩上猛虎之図』(早春の崖を下るほぼ原寸大の猛虎)を描く。
1925年
名古屋美術倶楽部で大橋翠石新作画展を開催。
1926年
名古屋松坂屋で大橋翠石絵画展覧会を開催。
1927年
東京上野日本美術協会で翠石百幅展が開催される。発起人は東郷平八郎・金子堅太郎・団琢磨ら。『白虎之図』を描く。金泥、プラチナ泥を用い、画面上部の朱文方印「天覧余光耀九重」は明治天皇への献上作下図にも押されている。
1944年
母校である大垣の興文小学校第四義校の後身、大垣市立東小学校の講堂を飾るため、『大虎図』を描く。
1945年
8月31日、老衰のため午前4時に亡くなった。81歳没。

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