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ミュシャ
- 1860年
- チェコ東部モラビア地方南部の寒村イヴァンチツェに生まれる。
- 1873年
- 雑誌「モテツト」の表紙を描く。
- 1874年
- 声変わりにより聖歌隊を退団。そのため奨学金も打ち切られ中学を除籍となる。イヴァンチツェに戻り、父の手引きで裁判所の書記の仕事につく。
- 1879年
- プラハ芸術アカデミーの入試に落ち、舞台装置や緞帳を作っているカウツキー・ブリオシ・ブルクハルト工房の求職に応じウィーンに移る。
- 1883年
- クーエン・ベラン伯爵と出会い、フレスコ画制作の依頼を受ける。以降、伯爵と弟のエゴン伯爵の援助を受けるようになる。
- 1884年
- クーエン伯爵の援助を受けて、ミュンヘンの美術アカデミーに入学。
- 1888年
- パリに出て、アカデミー・ジュリアンに学ぶ。
- 1889年
- アカデミー・コラロシュに学ぶが、クーエン伯爵の自殺により援助を打ち切られる。
- 1891年
- ゴーギャンやストリンドペリと出会う。雑誌の挿絵を描く。
- 1892年
- セニボス著「ドイツの歴史」の挿絵を担当。
- 1894年
- 偶然の出会いにより、サラ・ベルナール主演の恋愛劇「ジスモンダ」のポスターを制作。大変な好評を博し、一躍時代の寵児となる。
- 1895年
- サラ・ベルナールと6年間のポスター契約を結ぶ。
- 1896年
- サロン・デ・サン展のポスターを描き、ロートレックらと共に出品。
- 1897年
- サロン・デ・サンにて個展。ラ・ブルユム誌ミュシャを特集。
- 1900年
- パリ万国博覧会が開催、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ館の装飾を担当。
- 1901年
- レジオン・ドヌール勲章を受章。装飾資料集を刊行。
- 1910年
- 祖国に戻りプラハに居を構える。スラヴ民族の歴史を綴った連作「スラブ叙事詩」の制作を開始。
- 1918年
- 新貨幣や切手のデザインを担当。
- 1928年
- 「スラブ叙事詩」が完成し、プラハ市に寄贈する。
- 1931年
- 聖ヴィタ大聖堂(プラハ)のステンド・グラス制作。
- 1936年
- パリの印象派美術館でミュシャ展開催。
- 1939年
- プラハにて逝去。享年79歳。
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