歌川 国貞 | 絵画 浮世絵 | 買取作家・取扱い品目 | 福岡の絵画・美術品・骨董品の高価買取なら「豊後」

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買取品目絵画 浮世絵

歌川 国貞

1786年
江戸本所の竪川の五ツ目に渡し船の株を持つ材木問屋の家に生まれた。
1801年
15、6歳で豊国の門下に入り、歌川を称し、後に国貞と名乗った。五渡亭の号は狂歌師の大田南畝からつけてもらったものといわれ、国貞は他の号を名乗るようになってもこの号を長く愛用しており、天保14年(1843年)まで使用している。
1807年
22歳頃から美人画を描き始め、また、同じ文化4年に景物本『不老門(おいせのかど)化粧若水』という滝沢馬琴作の合巻を初筆している。
1825年
艶本の挿絵も始めた。
1827年
英一蝶に私淑しており、文政10年(1827年)頃より使用した香蝶楼の号は一蝶の「蝶」と一蝶の名の信香の「香」を取ってつけたものであった。
1830年
天保元年(1830年)、英一珪に師事して英一螮と号す。文政の後期頃から猫背猪首スタイルの美人画を描いている。歌川広重と合作した「双筆五十三次」においては、三代目豊国が歌舞伎役者などの人物を描き、広重が風景を描いている。この「双筆五十三次」の内、赤坂の画中に英一螮の落款がみられる。天保の改革により、美人画、役者絵にさまざまな制約が加えられたが、改革の抑圧が緩和すると、嘉永頃にはその反動で彫り摺りの技術は一層高度に極彩、細密なものとなり、目を奪う工芸美といえる浮世絵版画が作られるようになっていった。
1844年
正月、二代目豊国を称した。同門の歌川豊重が二代目豊国を襲名していたので実際には国貞は三代目豊国であり、現在も豊重と区別する必要があることから「三代目豊国」と呼ばれる。またその居宅を以って亀戸豊国ともいう。
1845年
剃髪して名も肖造と改める。
1846年
三代目歌川国政を養子にして二代目歌川国貞を継がせる。
1862年
77歳以降、喜翁と号した。
1865年
79歳で死去。

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