モディリアーニ(アメデオ・モディリアーニ) | 絵画 版画 | 買取作家・取扱い品目 | 福岡の絵画・美術品高価買取なら美術品店「豊後」

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モディリアーニ(アメデオ・モディリアーニ)

1884年
イタリアのトスカーナ地方の都市、リヴォルノのローマ街33番地において、フラミニオ・モディリアーニ(父)とエウジェニア・ガルシン(母)の間に、2男1女に続く末っ子として生まれる。
1898年
14歳のとき、風景画家のグリエルモ・ミケーリのアトリエでデッサンの指導を受けるようになる。
1906年
パリへ移住。アカデミー・コラロッシに入学。 モンマルトルのコランクール街にアトリエを借り活動を始める。
1907年
サロン・ドートンヌに出品するが、同所の回顧展でポール・セザンヌを知り、強い衝撃を受ける。なお、同サロンには1912年にも出品している。また同じ頃、医学研修生のポール・アレクサンドルの勧めで、サロン・デ・サンデパンダンに入会する。アレクサンドルはモディリアーニの絵画をパリで最初に購入した人物である。
1909年
モンパルナスに移る。ここでルーマニア出身の彫刻家、コンスタンティン・ブランクーシと交流する。また、この時期に彼は彫刻に没頭し、1915年頃まではアフリカ、オセアニア、アジア、中世ヨーロッパなどの民族美術に影響を受けた彫刻作品を主に作っていた。 資金不足と健康の悪化による体力不足などの理由により、途中で断念せざるを得なかったが、その間に残した一連のスケッチからは、後の作品の特徴であるフォルムの単純化の過程を知ることができる。
1915年
絵画に専念し、画業を始める。
1917年
アカデミー・コラロッシでジャンヌ・エビュテルヌと知り合い、同棲を始める。 12月3日ベルト・ヴァイル画廊にて、生前唯一となる個展を開催したが、裸婦画を出展したのがもとで警察が踏み込む騒ぎとなり、一日で裸婦画を撤去する事態となった。
1918年
転地療養のためニースに滞在する。同年11月29日長女ジャンヌが誕生。 1919年7月にはジャンヌ・エビュテルヌに結婚を誓約している。しかし、貧困と生来患っていた肺結核に苦しみ、大量の飲酒、薬物依存などの不摂生で荒廃した生活を送る。
1920年
結核性髄膜炎により死亡した。35歳没。

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