買取品目絵画 版画
パウル・クレー
- 1879年
- 12月18日、スイスの首都・ベルン近郊のミュンヘンブーフゼーに生まれた。
- 1890年
- 当時はパリと並ぶ芸術の都だったミュンヘンに出て、美術学校に入学し、象徴主義の大家フランツ・フォン・シュトゥックの指導を受ける。なお、シュトゥックはカンディンスキーの恩師でもあった。ただ学校の画一的な教育はクレーにあわず、1年後の1901年には退学している。同年から翌年にかけてイタリアを旅行してルネサンスやバロックの絵画や建築を見て回り、特に建築の純粋さから多くを学んだ。
- 1906年
- リリー・シュトゥンプフと結婚してミュンヘンで新婚家庭を営み、翌年には息子フェリックスが誕生した。まだ無名の画家だったクレーには収入源が無く、リリーがピアノ教師として働くことで家計を支え、代わりにクレーは育児をはじめとする様々な家事に携わった。
- 1910年
- ベルン等で個展を開く。この頃はセザンヌやゴッホらの作品に感銘を受けつつ独自の道を模索していた。またカンディンスキー、マルクらと知り合って特にマルクとは親友となり、彼らが立ち上げた「青騎士」展には第2回展から参加した。
- 1914年
- チュニジアへ旅した。このころから色彩に関心を持つようになり、これ以後は色で構成された抽象的が作品を描くようになる。
- 1916年
- 第一次大戦に徴兵された。親友のフランツ・マルクが戦死している。
- 1920年
- ワイマール、デッサウのバウハウスで教えた。絵画教育を理論化することに貢献する。
- 1928年
- エジプト旅行で関心を持った形象の記号化を進めた。
- 1931年
- デュッセルドルフ美術学校へ移る。
- 1933年
- ナチスに追われ、以後ベルンに定住した。102点の作品がナチスに没収され、1937年の「堕落美術展」には、そのうち17点が展示されたという。
- 1940年
- 6月29日、逝去。
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