買取品目絵画 洋画
平野 遼
- 1927年
- 大分県北海郡に生まれる。本名は明。
- 1933年
- 戸畑市沢見尋常小学校に入学。3年生の頃から絵を独学で学び始める。
- 1939年
- 戸畑男子高等小学校を卒業。
- 1940年
- 3歳の時他界した母親に続き、父親も他界。徴用工として働く。
- 1945年
- 除隊後戸畑に帰る。
- 1949年
- 上京。第13回新制作派展に蝋画「やまびこ」で初入選。
- 1951年
- 第15回自由美術家協会展に「詩人」で初入選し、以後同展に出品を続ける。
- 1953年
- 第17回自由美術家協会展に「白い家」「兄弟」を出品して優秀作家賞を受賞。この頃より糸園和三郎、小山田二郎、瀧口修造らの知遇を得る。
- 1956年
- 第20回自由美術家協会展に蝋画「夜」を出品して佳作賞。
- 1957年
- 第21回自由美術家協会展に水彩画「飛べない蝶」を出品して2年連続して佳作賞を受賞。
- 1958年
- 自由美術家協会会員に推される。
- 1959年
- 第13回日本アンデパンダン展に「爆発」を出品。
- 1962年
- 第5回現代日本美術展に「修羅A」「修羅B」を出品し、前年の第25回自由美術家協会展出品作「像」を第5回安井賞展に出品する。
- 1964年
- 麻生三郎、糸園和三郎、森芳雄らと共に自由美術家協会を退会して主体美術協会を設立。以後、同展のほかに、現代日本美術展、安井賞展等に出品する。
- 1972年
- 作品集「平野遼素描集」を出版。
- 1975年
- 主体美術協会を退会して無所属となる。
- 1977年
- 作品集「平野遼自選画集」を出版。
- 1978年
- ヨーロッパへ旅し、スイス、イタリア、オランダ、東欧等を訪れる。
- 1979年
- 7月に中央アジア、9月に東独、チェコ、オーストリアへ旅行。
- 1986年
- 「平野遼の世界展」(池田20世紀美術館)。
- 1987年
- 「平野遼の世界展」(北九州市立美術館)。
- 1992年
- 北九州市小倉にて逝去(享年65歳)。
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