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東郷 青児

1897年
鹿児島県鹿児島市稲荷馬場町(現在の鹿児島市稲荷町)に生まれる。幼少時に一家は東京に転居。余丁町小学校では林武と同級。
1914年
青山学院中等部を卒業。青児の名前の由来はここからきていると言われている 。このころ日本橋呉服町に竹久夢二が開いた「港屋絵草紙店」に出入りし、下絵描きなどを手伝う。
1915年
山田耕筰の東京フィルハーモニー赤坂研究所の一室で制作。日比谷美術館で初個展、この頃有島生馬を知り、以後師事。
1916年
第3回二科展に初出品した『パラソルさせる女』により二科賞を受賞。
1920年
永野明代(はるよ)と結婚。
1921年
1921年(大正10年)から1928年(昭和3年)までフランスに留学。国立高等美術学校に学ぶ。この頃の作品には、ピカソらの影響が見られる。長男の志馬誕生。
1924年
ギャラリー・ラファイエット百貨店のニース支店とパリ本店で装飾美術のデザイナーとして働く。
1928年
第15回二科展に留学中に描いた作品23点を出品、第1回昭和洋画奨励賞を受賞。
1929年
既婚のまま2月に中村修子と結婚披露宴を挙げ、3月に愛人の西崎盈子(みつこ)とメスで頸動脈を切り、ガス自殺をはかったが、救出される。宇野千代と同棲を始める(宇野の『色ざんげ』は東郷をモデルにした主人公が自らの情死未遂事件を語るというもので、のちに東郷は「この作品は最後の一行まで僕の話したことだ」と語っている)。
1930年
ジャン・コクトーの『怖るべき子供たち』を翻訳、白水社より刊行。
1931年
二科会入会。
1933年
宇野千代と別れ、妻の明代とも離婚。情死未遂事件の相手、みつ子と翌年結婚。
1938年
二科会に「九室会」が結成され、藤田嗣治と共に顧問になる。
1940年
みつ子との間に長女、東郷たまみ(のちに水谷八重子、朝丘雪路とトリオを組んで歌手デビューし、その後画家になり、二科会会長も務める)誕生。
1951年
歌舞伎座用の緞帳を制作。
1957年
岡本太郎と共に日活映画『誘惑』に特別出演(西郷赤児役)。日本芸術院賞受賞。
1960年
日本芸術院会員。
1961年
二科会会長に就任。
1969年
フランス政府より芸術文化勲章(オフィシエ)を授与される。
1976年
勲二等旭日重光章授与。東京・西新宿に東郷青児美術館(現在のSOMPO美術館)が開設。
1978年
4月25日、第62回二科展(熊本県立美術館)出席のため訪れていた熊本市にて、急性心不全のため死去。没後、文化功労者、勲二等旭日重光章、正四位追贈。

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