買取品目掛軸 日本画
平福 百穂
- 1877年
- 秋田県角館(仙北市)に生まれた。
- 1890年
- 父から絵を学びはじめる。同年末に父が急死する。
- 1891年
- 父の後援者の援助を受け、本格的に絵を学び始める。同じ年の秋に開かれた亡父の追悼画会で画才を認められ、「百年」の百と「穂庵」の穂を取って「百穂」と号す。
- 1894年
- 上京し、四条派の第一人者川端玉章の内弟子となる。
- 1897年
- 川端塾の先輩だった結城素明の勧めにより東京美術学校に入学する。
- 1900年
- 素明らと无声会を結成、日本美術院のロマン主義的歴史画とは対照的な自然主義的写生画を目指す。
- 1915年
- 平福は、平福を中心に川端龍子・小川千甕・小川芋銭らと日本画グループ「珊瑚会」を形成した。「珊瑚会」は1915年(大正4年)から1924年(大正13年)まで10回の展覧会を主催している。
- 1916年
- 金鈴社結成後は、中国の画像石や画巻、南画への関心を示す古典回帰が見られる作品を発表。
- 1932年
- 「小松山」など、自然主義と古典が融合した作品を生み出すに至った。
- 1933年
- 死去。
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