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買取品目掛軸 日本画

英 一蝶

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1652年
京都で生まれる。
1667年
一蝶が15歳の頃(異説では8歳の頃)、藩主の石川憲之に付き従っての江戸詰めが決まり、一家で江戸へ転居する。絵描きの才能を認められた一蝶は、藩主の命令で狩野安信に入門したものの、後に破門されたと言われる。多賀朝湖という名で「狩野派風の町絵師」として活躍する一方、暁雲の号で俳諧に親しみ、俳人・宝井其角、松尾芭蕉と交友を持つようになる。書道は玄竜門下に学ぶ。名を江戸中に知られるようになり、町人から旗本、諸大名、豪商まで、広く親交を持つようになる。版画の作品はないが、肉筆浮世絵に近い風俗画に優れた作品を残している。また、吉原遊廓通いを好み、客として楽しむ一方で自ら幇間としても活動していた。その話術・芸風は、豪商や大大名すらもついつい財布を緩め、ぱっと散財してしまうような見事に愉快な芸であったと伝わっている。
1693年
罪を得て入牢する。理由は不明で、2ヵ月後に釈放される。
1698年
今度は生類憐れみの令に対する違反により、三宅島へ流罪となった。
1702年
配流中に、随筆『朝清水記(あさしみずき)』を記す。
1709年
将軍・徳川綱吉の死去による将軍代替わりの大赦によって許され、12年ぶりに江戸へ帰る。この頃から英一蝶と名乗り、深川の宜雲寺に住まい、市井の風俗を描く人気絵師として数々の大作を手がけた。また、吉原での芸人活動も続けていたらしく、豪商の奈良屋茂左衛門や紀伊國屋文左衛門らとの交遊の話が伝わる。
1724年
死去。享年73。

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