買取品目絵画 版画
ユトリロ(モーリス・ユトリロ)
- 1883年
- 12月26日、パリ・モンマルトルの丘の麓に位置するポトー街8番地にて、シュザンヌ・ヴァラドンの私生児として生まれる。
- 1891年
- スペインの美術評論家ミゲル・ユトリロの養子となった。
- 1896年
- パリのロラン中学校に入学。10歳ごろより飲酒を覚え、飲酒癖がひどくなる。
- 1900年
- 早くから異常な飲酒癖を示し、17歳で最初のアルコール中毒で入院するようになった。
- 1904年
- パリのサン=タンヌ精神病院に入院。退院後、それを治すために医師の助言と母の説得で治療のため絵を描き始める。もともと画家的雰囲気に育った彼は優れた天性を発揮する。
- 1909年
- ほとんど独学で絵を学び、印象派的な時期を経過して、画壇からも孤立し、哀愁に満ちたパリの街角など身近な風景画を数多く描いたが『白に時代』といわれるこのころの作品に秀作が多い。サロン・ドートンヌに出品。
- 1913年
- 最初の個展を開催、評判となる。
- 1914年
- モンマルトルの建物や風景を重厚なマチエールで描く独自の世界を築き上げ、この頃<白の時代>の絶頂期を迎える。そして、精神病院への入退院を繰り返す。
- 1918年
- ユトリロはピックピュスの療養所から脱走して、モンパルナスのラ・グランショーミエル街の安レストランで、モジリアニと出会う。
- 1919年
- ルプートル画廊の個展が大成功を収める一方、アルコール中毒は治らず、何度となく入退院をくりかえす。
- 1928年
- レジオン・ドヌール勲章シュバリエ章を授与される。
- 1935年
- コレクターの未亡人、リュシー・ヴァロールと結婚し、晩年は裕福な生活を送りながら絵葉書をもとにパリの風景を描きつづけた。
- 1955年
- 11月5日、南仏ダックスにて死去。モンマルトルに埋葬される。
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