買取品目絵画 版画
ジョルジュ・ブラック
- 1882年
- パリ郊外セーヌ川沿いの町アルジャントゥイユで生まれル・アーヴルで育った。
- 1890年
- 一家はル・アーヴルに移り、同地の中学校、ついで美術学校に通う。美術学校でフリエスとデュフィと知り合う。
- 1899年
- 学校をやめ、塗装業の見習いとなる。
- 1900年
- 塗装の修業を終えるためパリに出、バティニョールの市立美術学校で絵とデッサンの勉強を続ける。
- 1902年
- アカデミー・アンベールとエコール・デ・ボザールのレオン・ボナの教室に入る。
- 1905年
- フォーヴィスムの影響を受けて、大胆な色彩の作品を制作。フリエス、ラウル・デュフィとともにル・アーヴル3人組と呼ばれた。
- 1907年
- ピカソのアトリエで《アヴィニョンの娘たち》を見、またセザンヌの回顧展を見て、その作風が大きく変わる。
- 1909年
- パリで2点の作品をサロンへ出品した。このとき初めてキュビスム的絵画が大衆へ曝されることとなり、大きな噂となる。
- 1911年
- ブラックは葡萄の房やバイオリンが登場する作品を多数製作した。
- 1912年
- カンバスの一部に丁寧に木目を描いたり、絵具に砂を混ぜるなど、後のコラージュやパピエ・コレに通ずる作品を製作した。
- 1917年
- 製作を再開する。軍属でもあった画商レオンス・ローザンベールと契約する。
- 1919年
- ローザンベールの画廊で個展を開いた。
- 1937年
- カーネギー国際大賞受賞して国際的名声を獲得する。
- 1948年
- ベネチア・ビエンナーレで大賞受賞。ニューヨークで大回顧展開催。
- 1953年
- ルーブル美術館・シュリー翼のアンリ二世の間の天井画を手掛ける。
- 1963年
- 8月31日、パリにて逝去。ルーヴル美術館の前で国葬が執り行われた。
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